
大久野島
新華網東京8月21日(記者/王可佳 楊汀)日本の瀬戸內海沿岸、広島県と愛媛県の境に位置する大久野島は風光明媚な観光地である。しかし、第二次世界大戦中、ここには日本軍の毒ガス製造工場があった。このため、大久野島は「毒ガス島」とも呼ばれている。
連合軍の空爆を避けるため、島中の関係する施設はすべて迷彩色に塗られていた。化學兵器の製造や使用の事実を隠すため、日本當局はかつてこの島の存在自體を地図上から抹消していた。
日本のTBSはこのほど、「毒ガス島」の歴史に関するドキュメンタリー番組を放送した。番組では、女優の綾瀬はるかさんが大久野島を訪れ、多くの戦爭経験者にインタビューした。

藤本安馬(TBSより)
「この島は今、豊かな緑に覆われていますが、以前はむき出しで何もありませんでした。昔は島に毒ガスがあって、樹木が育たなかったからです。」今年91歳になる藤本安馬さんはこう語る。
藤本さんはかつて、毒ガスを製造する少年兵だった。彼は、「毒ガス島」の殘酷な歴史を知る數少なくなった歴史の証人の一人である。
戦時中、約6700人がこの島で働き、毎日24時間毒ガスを製造していた。
藤本さんは今でも、當時製造していた強烈な毒ガス「ルイサイト」の化學方程式を暗記している。
「私はこの化學方程式を絶対に忘れられないのです。本來は自分が生きていくために學んだのですが、最終的には中國人を殺すために毒ガスを作ったのであり、私は完全な犯罪者なのです。」
番組スタッフはまた、中國河北省定州市北タン村も訪ねている。中國に侵略した日本軍が毒ガスを使用し多くの住民を殺害した場所である。
當時、村民は日本軍の來襲を知り地下洞に逃げ込んだが、予想外にも日本軍が毒ガスを投げ込み、多くの村民は逃げ場を失った。毒ガスから逃れるため村の中にある井戸から這い出した村民も日本軍にみな殺され、井戸は死體で埋まり、井戸の水は血で真っ赤に染まったという。
千人を超える村民が日本軍に慘殺された。
日本軍は、中國のその他の地區でも毒ガスを使用した。しかし、関連資料は戦後に故意に破棄され、「毒ガス島」の工場も破壊され、貯蔵されていた毒ガスも破棄された。日本軍の殘忍な行為はこのように隠蔽され、これらの悪行は藤本さんのような體験者の記憶の中だけに留められた。
藤本さんは「私は毒ガスを製造し、中國人を殺したことがあります。」と語り、また、「これは紛れもない事実であり、ゆがめることのできないものです。」と語った。
