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世界で愛されるパンダが「親善大使」として大活躍
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2017-06-29 17:17:10 | 人民網日本語版 | 編集: 郭丹

 世界で愛されるパンダが「親善大使」として大活躍 

 カザフスタンの首都アスタナの遊園地で、パンダのキャラクターに抱き着く子供たち(2017年6月5日、撮影 呉暁凌)。

   6月24日、ドイツの首都ベルリン近郊のシェーネフェルト國際空港には、現地の政府関係者や報道陣、一般人など多くの人が集まっていた。待っていたのは、有名人の到着ではなく、特別貨物機に10時間以上乗って中國からやって來たパンダの「夢夢(メンメン)」と「嬌慶(チアオチン」の到着だった。この「スペシャルゲスト」を迎えるために、ドイツ人では盛大な歓迎セレモニーが開催されたほか、敷地面積約5500平方メートルの2頭のパンダの「新居」も準備された。

   ここ數十年、パンダが訪れた場所全てで「パンダフィーバー」が巻き起こっている。何とも言えない愛らしい姿の中國のパンダは、世界中に無數のファンを抱えると同時に、中國の外交において、「親善大使」として重要な役割を果たしており、最も知名度の高い中國のシンボルともなっている。

   海外の「パンダファン」の歴史は、1000年以上前の唐の時代にまで遡ることができる。當時、パンダは、國禮として日本の天皇に贈られたと言われている。また、1938年に英國に渡ったパンダは、英國の國民と共に第二次世界大戦を経験した。

   1949年に中華人民共和國が成立してからも、パンダは「親善大使」として活躍してきた。例えば、1957年、中國は舊ソ連にパンダ「平平(ピンピン)」を贈った。72年には、當時のニクソン米大統領が「砕氷の旅」として訪中。訪中2日目に、「パンダファン」のニクソン夫人が北京動物園を訪れた際にパンダを見學した。そして、訪中の最終段階で、周恩來総理がパーティで、四川省寶興県のパンダ「玲玲(リンリン)」と「興興(シンシン)」を國禮として、米國の國民に寄贈すると突然発表し、ニクソン大統領夫妻を大喜びさせた。數十日後に、パンダ2頭が専用機のボーイング707機に乗って太平洋を渡り、ワシントンに到着すると、雨が降っていたにもかかわらず、米國人8000人以上が迎えた。ワシントンのスミソニアン國立動物園におけるパンダ初公開の日には、2萬人以上が訪れた。この年は、米國では「パンダイヤー」と呼ばれている。

   その後、パンダは西洋で大人気になり、パンダは「親善大使」として、友好國に寄贈されるようになった。しかし、82年以降はパンダの生息環境が悪化し、個體數も激減したため、中國政府は外國へのパンダ寄贈を停止した。それでも、パンダの「海外への旅」は中斷することなく、1984年からは、パンダをレンタル方式で外國に貸し出すようになった。

   2016年末の時點で、中國パンダ保護研究センターは、10ヶ國の動物園12ヶ所と、科學研究の面における提攜を展開しており、同センターのパンダ計26頭が海外で暮らしている。パンダは文化交流の懸け橋として、その獨特の可愛らしさを武器に、中國と世界各國の友好関係の発展を見守ってきた。

   今年1月、國連開発計畫(UNDP)は、世界から選出した「パンダ大使」17人を発表した。世界五大陸の14ヶ國から來た17人は、「貧困をなくそう」、「人や國の不平等をなくそう」、「気候変動に具體的な対策を」「安全な水とトイレを世界中に」、「飢餓をゼロに」などの目標を掲げた、國連の持続可能な17の発展目標をPRしている。多くの人に親しまれ、世界中で愛されているパンダのイメージを活用して、國連はこの17人を「パンダ大使」と呼んでいる。

 

(人民網日本語版)

 
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世界で愛されるパンダが「親善大使」として大活躍

新華網日本語 2017-06-29 17:17:10

 世界で愛されるパンダが「親善大使」として大活躍 

 カザフスタンの首都アスタナの遊園地で、パンダのキャラクターに抱き着く子供たち(2017年6月5日、撮影 呉暁凌)。

   6月24日、ドイツの首都ベルリン近郊のシェーネフェルト國際空港には、現地の政府関係者や報道陣、一般人など多くの人が集まっていた。待っていたのは、有名人の到着ではなく、特別貨物機に10時間以上乗って中國からやって來たパンダの「夢夢(メンメン)」と「嬌慶(チアオチン」の到着だった。この「スペシャルゲスト」を迎えるために、ドイツ人では盛大な歓迎セレモニーが開催されたほか、敷地面積約5500平方メートルの2頭のパンダの「新居」も準備された。

   ここ數十年、パンダが訪れた場所全てで「パンダフィーバー」が巻き起こっている。何とも言えない愛らしい姿の中國のパンダは、世界中に無數のファンを抱えると同時に、中國の外交において、「親善大使」として重要な役割を果たしており、最も知名度の高い中國のシンボルともなっている。

   海外の「パンダファン」の歴史は、1000年以上前の唐の時代にまで遡ることができる。當時、パンダは、國禮として日本の天皇に贈られたと言われている。また、1938年に英國に渡ったパンダは、英國の國民と共に第二次世界大戦を経験した。

   1949年に中華人民共和國が成立してからも、パンダは「親善大使」として活躍してきた。例えば、1957年、中國は舊ソ連にパンダ「平平(ピンピン)」を贈った。72年には、當時のニクソン米大統領が「砕氷の旅」として訪中。訪中2日目に、「パンダファン」のニクソン夫人が北京動物園を訪れた際にパンダを見學した。そして、訪中の最終段階で、周恩來総理がパーティで、四川省寶興県のパンダ「玲玲(リンリン)」と「興興(シンシン)」を國禮として、米國の國民に寄贈すると突然発表し、ニクソン大統領夫妻を大喜びさせた。數十日後に、パンダ2頭が専用機のボーイング707機に乗って太平洋を渡り、ワシントンに到着すると、雨が降っていたにもかかわらず、米國人8000人以上が迎えた。ワシントンのスミソニアン國立動物園におけるパンダ初公開の日には、2萬人以上が訪れた。この年は、米國では「パンダイヤー」と呼ばれている。

   その後、パンダは西洋で大人気になり、パンダは「親善大使」として、友好國に寄贈されるようになった。しかし、82年以降はパンダの生息環境が悪化し、個體數も激減したため、中國政府は外國へのパンダ寄贈を停止した。それでも、パンダの「海外への旅」は中斷することなく、1984年からは、パンダをレンタル方式で外國に貸し出すようになった。

   2016年末の時點で、中國パンダ保護研究センターは、10ヶ國の動物園12ヶ所と、科學研究の面における提攜を展開しており、同センターのパンダ計26頭が海外で暮らしている。パンダは文化交流の懸け橋として、その獨特の可愛らしさを武器に、中國と世界各國の友好関係の発展を見守ってきた。

   今年1月、國連開発計畫(UNDP)は、世界から選出した「パンダ大使」17人を発表した。世界五大陸の14ヶ國から來た17人は、「貧困をなくそう」、「人や國の不平等をなくそう」、「気候変動に具體的な対策を」「安全な水とトイレを世界中に」、「飢餓をゼロに」などの目標を掲げた、國連の持続可能な17の発展目標をPRしている。多くの人に親しまれ、世界中で愛されているパンダのイメージを活用して、國連はこの17人を「パンダ大使」と呼んでいる。

 

(人民網日本語版)

 
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