
この新聞紙サイズの大きな紙が卒業証書だと誰が思うだろう?だが、これは正真正銘の卒業証書であるだけではなく、中國大陸部に殘る最も古い大學卒業証書だ。この卒業証書は西南交通大學公文書館に収蔵されている。興味がある人は、同校の大學史料館でそのレプリカを見ることができる。華西都市報が伝えた。
この卒業証明書は、一體どんな歴史を背負っているのだろう?1896年、直隷総督・北洋通商大臣を務めていた王文韶氏が學校創設を光緒帝に上奏し認められ、西南交通大學の前身となる「山海関北洋鉄路官學堂(Imperial Chinese Railway College)」が誕生した。同校は創設當初から、學生に対する條件が極めて厳しく、學生は鉄道・道路管理機関が実施する試験にパスしなければ入學が許されなかった。入學したらそれで終わりではない。多くの厳しい難関を突破してようやく入學した學生は、たびたび行われる試験に臨まなければならなかった。成績優秀者は名前が発表され、褒賞が與えられる。一方、成績が芳しくなければ留年、退學、あるいは卒業証書を受け取れないことになる。第一期生を募集したとき、最初の計畫では2クラス40人を募集する予定だったが、學生に求める質が高すぎたため、定員割れという事態に陥った。
1900年、「山海関北洋鉄路官學堂」一期生2クラスの學生が卒業した。39人のうち、晴れて卒業証書を手にした學生は17人だけだった。これは、中國現代教育史上で初めて、正規の土木工學科大學卒業証書となった。張孝基さんは、この卒業証書を手にした卒業生の一人だった。
張さんの卒業証書は、サイズが現代の新聞紙(四つ切り)よりさらに大きく、正面の上方には、英語で「Imperial Chinese Railway College(直訳:中華帝國鉄道學院)」と印刷されている。右側には毛筆による手書きで「山海関北洋鉄路官學堂張孝基」としたためられている。當時、同校に入學後、まず2年間は予科で學ばなければならなかったため、學生は外國語科目を履修した。その後、やっと2年間の専門課程に進むことができた。卒業証書を見る限り、張さんの専攻學科は土木工學だったようだ。関連資料によると、當時の大學學部は現在と同じく4年制で、全課程には30あまりの専攻が設けられていた。
この卒業証書は、なぜすべて英文で書かれているのだろうか?南西交通大學公文書館の元館長だった張雪永教授は、「1896年、國內で初めての大學が設立されたが、専門の教員や學校を管理する人がいなかったことから、學校の主任教員や講師は全員、外國人だった。卒業証書の発行に際しても『海外バージョン』になったことは無理もないだろう」と説明した。
(人民網日本語版)
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