【新華社東京8月18日】日本は15日、73回目の敗戦記念日を迎え、戦爭の経験者や識者らが、殘虐な戦爭の記憶を決して忘れないよう、また、再び戦爭の慘禍が起こることのないよう呼びかけた。
▽忘れてはならない記憶
第二次世界大戦時兵士だった沖松信夫氏(93)にとって、8月15日は決して忘れられない日だ。1925年に生まれた沖松氏の人生の大部分は、日本が侵略戦爭の奈落に落ち、1945年8月15日についに無條件降伏を宣言した過程と重なっている。
沖松氏は1937年、中學校に入學した。日本による中國への全面的な侵略の発端となった同年の盧溝橋事件が、地元で話題になることはほとんどなかったが、沖松氏は軍國主義思想が幅を利かせていることを感じていた。
沖松氏は取材に対し「當時は皆、兵士になることを誇りに思っていたもので、私も陸軍士官學校に行くと決意していた」と語った。
日本軍は1937年12月13日、當時の中國の首都、南京を佔領。その後およそ40日間にわたり、(日本軍によって)南京の中國人市民と武器を持たない兵士30萬人以上が虐殺され、2萬人の女性が強姦された。
20歳になった沖松氏は1945年、日本軍の神風特別攻撃隊の隊員となった。3カ月の訓練の後、沖松氏は他の兵士とともに連合國の船舶への體當たり攻撃の任務を課せられた。
幸運なことに、沖松氏の任務は當日延期となり、その後、裕仁天皇が日本の無條件降伏を発表したことで中止となった。
沖松氏は後にこの日を自分が「生まれ変わった」日と呼び、戦時中の自らの體験や家族の苦しみを人點に語った。
沖松氏は、今日の日本の多くの歴史問題は、歴史についての知識や認識の欠如に起因していると指摘する。また「戦爭の記憶を伝えること。そして、戦爭を引き起こす恐れのある要因を排除するために、日本と近隣國との友好関係を促進すること。これは戦爭を経験した私たちの義務だ」と述べた。
▽耳を傾けるべき聲
共同通信の編集委員で、戦後生まれの磐村和哉氏によると、8月15日は「日本の戦後の平和主義時代と経済発展の始まりを示す」ため、日本にとって大きな意味を持つという。
戦後、日本は急速な経済発展を遂げた。経済発展にとって、平和憲法が促進する平和な環境は、間違いなく必須條件だった。
磐村氏は、戦爭の悲劇を二度と繰り返さないために、8月15日の記憶と戦後の歴史を顧みることは本當に必要だと述べた。
沖松氏は戦後、高校教師になった。戦爭の記憶にさいなまれ1975年、沖松氏は戦時の侵略に関わった元日本兵のグループが設立した反戦団體に加入した。後にこの団體は「日中友好8.15の會」という名になった。
「日中友好8.15の會」は月刊の機関誌「8.15」を出版し、戦爭に関する話を語り、歴史の記憶を回顧、継承することを呼びかけた。
93歳の沖松氏は「私たちは昨年、機関誌を毎月発行し続け、平和憲法を守ることを求める集會や日本と他國の友好関係を促進する活動にも參加した」と紹介した。
日本では極右勢力による妨害や脅しにもかかわらず、平和を愛する何人かの人點が、若い世代に真の歴史を伝えるために努力を続けており、沖松氏の話はその一例に過ぎない。
もう一つの例が、昨年NHKが放送したドキュメンタリー番組「731部隊の真実」。731部隊は、細菌兵器や化學兵器の研究開発を擔った日本帝國陸軍の秘密部隊で、第二次世界大戦中、死に至る人體実験を行った。同番組は常軌を逸したその罪を明らかにした。
同番組は極右勢力を苛立たせたが、多くの日本人にとっては、戦爭の真実を知り、歴史を顧みるきっかけとなった。
韓國で「慰安婦の日」として定められた14日、東京のアクティブ・ミュージアム「女たちの戦爭と平和資料館」(wam)で開催された追悼のイベントに、およそ100人が參加した。
女性への戦時性暴力に焦點を當てた、日本で唯一の資料館であるwamの池田恵理子名譽館長は、世界中の人に「慰安婦」問題に目を向けることを呼びかけるため、毎年恒例のイベントを開いたと紹介した。
池田氏はまた、日本政府はこの問題に向き合い、相応の措置を取るべきだと語った。
▽未來への道
日本の歴史家らは、戦爭の記憶の回顧と継承は、平和を守り、將來に正面から向き合うための最善の方法であるとしている。
しかし、戦爭経験者の高齢化に伴い、時間の経過とともに薄れていく戦爭の記憶と日本の若い世代が隔たってしまうという懸念が生じている。
政治アナリストでコラムニストの田勢康弘氏は、自分の世代は8月15日への思いが強いが、若い世代は徐點に変わっていくように思うと語った。
15日に開かれた、毎年恒例の全國戦沒者追悼式で明仁天皇は、日本の過去の行為についての「深い反省」を繰り返した。
來年に退位する明仁天皇は「過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦爭の慘禍が再び繰り返されないことを切に願う」と追悼の言葉を述べた。
日本の安倍晉三首相も式典に出席し、戦爭の慘禍を二度と繰り返さないとの誓いを新たにしたが、日本の加害責任については今年も言及しなかった。
沖松氏は、日本は無條件降伏をせざるを得なかったため、8月15日は一部の日本人から屈辱の日とみなされてきたと述べ、「しかし実際には、8月15日は日本再生の日と考えるべき」との考えを示した。
沖松氏にとってうれしいことに、「日中友好8.15の會」は現在、若い會員も引きつけており、その中には教師や學生、ホワイトカラーが含まれている。
沖松氏は、若い世代がもっと歴史を學ぶことを、本當に望んでいると述べ、真の歴史認識と戦爭への反省がなければ、日本と、中國を含む他國との間に真実の友好はないだろうとの認識を示した。
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