
5日、重慶大爆撃追悼記念行事の會場。
【新華社重慶6月6日】中國重慶市で5日午前10時半、市內に「防空警報」が響き渡ると、渝中區にある重慶大爆撃慘劇遺跡(大轟炸慘案遺跡)に數百人が集まった。社會各界から集まった人點の中には第二次世界大戦の「重慶大爆撃」の生存者や犠牲者の家族の姿も見られた。人點は生花を手に爆撃で犠牲となった同胞を追悼した。
中國を侵略した日本軍は77年前の6月5日夜、重慶市の非軍事施設と一般市民居住區に対し無差別爆撃を行った。數千人にも上る罪のない一般市民が、現在遺跡のある場所に掘られた防空トンネルの中で不幸にも命を落とした。 「6・5」重慶防空トンネル事件の死亡者數は、第二次世界大戦中に行われた1回の爆撃による間接被害の中で最も多い。
遺跡の前では午前9時過ぎ「歴史を忘れず、中華を振興し、戦爭に反対し、平和を大切に」というスローガンが繰り返され、追悼に參加した人點は厳粛な面持ちで獻花し、罪なき犠牲者に深い哀悼の意を表した。
85歳の粟元奎氏は「重慶大爆撃」を體験した生存者で、重慶大爆撃対日民間賠償請求訴訟原告団の団長でもある。粟氏は77年前、下水道の曲がり角に身を隠したことで難を逃れ、後に死體の山の中から救出された。粟氏は、中國を侵略した日本軍の蠻行で、多くの一般市民が離散し、住居を失くし、家族を失ったと述べ、今日ここで死別した肉親と同胞を追悼したが後世の人點も歴史をしっかり記憶して欲しいと語った。
大爆撃で肉親を失った重慶市民の姜遺福氏によると、大爆撃は姜氏から祖母と叔母を奪い、家族全員に癒えることのない心の傷を與えたという。姜氏は、犠牲者の家族として、長年にわたり日本政府に対する賠償請求訴訟を行っており、犠牲になった肉親と同胞の無念を晴らしたいと語る。
陳桂芳氏、王西福氏、左継豪氏ら「重慶大爆撃」の生存者も行事に參加した。80歳を過ぎた高齢者は、子供の頃の體験を語ると耐えきれずにさめざめと涙を流した。
日本軍は1938年2月から1944年12月にかけ、重慶市および周辺都市の商業區、一般市民居住區、外國の大使館と領事館に対し、6年10カ月にわたる大規模な爆撃を行った。歴史上「重慶大爆撃」として知られるこの爆撃によって、重慶市では直接の死傷者3萬2千人余り、間接的死傷者6600人余り、家屋損壊1萬1814棟、2萬1295室の被害を受け、被害総額は約100億法幣(當時の國民黨政府通貨)と推定される。
犠牲になった同胞を追悼するため、同市では1998年以降、毎年6月5日の「重慶大爆撃追悼記念日」に全市で防空警報を鳴らしている。
粟氏は、市內に響き渡る防空警報を聞きながら「恨みを持ち続けるつもりはない。中日両國の末長い友好を望んでいるし、戦爭に反対し、平和を大切にしたい」と語った。(記者/劉恩黎)












