
日本の人気作家・村上春樹の長編小説「騎士団長殺し」の翻訳を誰が擔當するかという話題が一時期注目を集めた。最終的に同小説の中國語版の版権は上海訳文出版社が所有し、林少華氏が翻訳することになった。実は、村上氏の作品だけではなく、ここ數年、翻訳小説の質とスタイルに関心を寄せる読者がますます増えてきている。文學作品の翻訳の質がしばしば人點の話題となり、王道の翻訳作品が現れることは難しいのが現狀のようだ。
名著であれば目移りしてしまうほど大量にある翻訳版
多くのファンを抱える村上氏は、その作品の翻訳者の數も多い。新作が発表されるたび、その翻訳小説を巡って議論が交わされることとなる。他の翻訳者に比べ、林少華氏の訳文は硬すぎず、原作の雰囲気や言葉のセンスの細やかな部分まで訳出できているとされる一方で、原作に比べやや華やか過ぎる嫌いがあるとの見方もある。
現在、読者が文學作品の翻訳について議論したり、研究したりすることはよくあることとなっている。世界的にも有名なイギリスの作家・モームの作品は昨年からパブリックドメインとなったこともあり、その作品「月と六ペンス」は過去一年間でなんと中國語翻訳版が十數種類も出版された。果たして、どの翻訳を読めばいいだろうのか。読者にとってはそれぞれの翻訳を比較して熟読することが楽しみの一つにすらなっている。よほどひどい翻訳は別として、大部分はそれぞれのスタイルや特徴があり、読者の異なったニーズを満たしている。
「グレート・ギャツビー」や「迷い鳥たち」、「高慢と偏見」などの名著の多くが複數翻訳版を出版しており、ファンたちは、その中から最も優れた翻訳版を選ぶことができる。
當然ながら、「The Cambridge History of China」や「Eleven Kinds of Loneliness」、「2666」のように読者たちから中國語翻訳の質の悪さが指摘されている名作もある。
翻訳の質が度點議論の焦點に
人點の外國語能力がますます高まっており、文學作品の翻訳がますますスピーディに大規模になっている今日、一方で優秀な訳者は多くないという現狀は、業界を苦境に立たせている一因でもある。
現在、外國語文學作品の出版はタイミングが非常に重要となってきている。一部のベストセラーは、原作の発表と同時に中國語翻訳が登場するケースもある。結果として、原作の風格が正しく伝えられていなかったり、誤訳や翻訳漏れが頻繁に見られるようになった。こうした翻訳の流れ作業のラインは以前では全く考えられなかったことだ。
「ダ・ヴィンチ・コード」の訳者である朱振武氏は、「文學作品の翻訳は時代の流れと共に進んでいくべきだ。繰り返し翻訳する必要のある作品は多くある。異なる時代に生きる訳者たちは、自らが生きる時代の自分の聲を発するべきだ。優秀な翻訳は原作の影響力すら超越する可能性がある」との見方を示した。
現在、版権の導入と文學作品の翻訳が急成長を遂げつつあり、文學翻訳の「英雄時代」はすでに過去のものとなっている。そして今は「翻訳の匠」が翻訳作業を行うケースが多くなっている。數多くの翻訳者は外國語に長けているだけでなく、文學を愛し、文學作品を共に完成させるように翻訳を手掛けている。
客観的かつ公正で、時代の流れに伴う評価システムの不完備
村上氏の初期の作品を數多く中國語に翻訳した林少華氏は、翻訳に関して「特に二つの點を重視している。一つは文章のリズムであり、もう一つは言葉の味わい。単にストーリーを翻訳すればいいというものではない。高額で版権を買い取る価値がないではないか?なぜならリズムと味わいこそが村上文學の生命だからだ」と語っている。
業界の専門家は、文學作品の翻訳とは様點な面に関わってくる作業であり、原作のイメージから言葉遣いや故事、思いや感情、語り方など翻訳者に対する要求はとても高く、蕓術的魅力を備えた中國語に翻訳するにはさらに難しい。作者の思いや感情、口調や言葉遣いなどを徹底的に表現できた作品だけが、読者に好まれることになる。しかしこれらはまた數量化できるものではなく、読者それぞれの好みもあるので、文學の翻訳はすべての人を満足させることが出來ないというのも実は何らおかしいことではない。
現在、翻訳家の翻訳理論はすでに大きく変化している。目の前の翻訳を「権威のある翻訳」と比較してはいけない。若手翻訳家の黃昱寧氏は、「世界の文學のトレンドが急激に変化しており、翻訳にも新たな要求が求められ続けていると。読者の評価基準とこの要求との間には一定の隔たりが常にある」としている。彼は、「現在、翻訳評価にとって、最も大きな問題は、翻訳を評価する際に、客観的かつ公正で、時代の流れに則った評価システムが欠如していることだ」と指摘している。
(人民網日本語版)
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