
日本に來ると初めは、「子育て天國だ」と感じる。市役所のホールにはベビーベッドがあり、ショッピングセンターには授乳ルームがあり、赤ちゃんやその母親に対する配慮を隨所で感じることができる。しかし、長く日本に住んでいると、それは表面的な部分に過ぎないことに気付く。そして、実際には、「子供が泣いたり騒いだりすると、周囲の人に嫌な目で見られるから、子供を連れて外にはあまり出たくない」と嘆く女性も多い。(文:田泓。新華網掲載)
人気歌手 宇多田ヒカルは最近、あるテレビ番組で、「東京って、なんて子育てしにくそうな街なんだろうってびっくりした」とし、その理由について、「ロンドンで一番いいなって思ったのが、とにかくお母さんと赤ちゃんがそこら中にいて、公園だろうが、レストランだろうが、授乳するにしても、レストランでも嫌な顔されない。日本ではベビーカー持って外で乗り物に乗ると、周りが全く協力してくれない上に、『なんだよこんな時間に』みたいな視線を投げかけられる」と説明した。東京都が2014年に行った調查によると、都內の7割にあたる42の市區町村の保育園で子どもの聲がうるさいという苦情が寄せられていることが分かった。苦情を寄せる人は、「規制基準を超える騒音を発生させてはならない」という規定を後ろ盾にしているため、都議會本會議は仕方なく、「保育所や公園での子どもの聲を騒音の數値規制の対象外とする」という改正案を可決し、15年4月から施行した。
このように、日本社會は他人の家庭の子供に対して冷淡で、「保育園不足」の解決に力を注ぐ政府の足かせになっている。一人でも多くの女性に出産後に職場復帰してもらおうと、日本は近年、數點の政策を打ち出して、住宅地の空き地などを活用して幼稚園の建設を進めている。しかし、「それはいいことだけど、うちの近くはやめて」というのが住民の本音。東京や神戸など多くの地域の住民は、幼稚園ができると、通行する車が増加したり、騒音が発生したりすることを心配し、幼稚園建設の計畫が中止に追い込まれたケースもある。日本は、禮儀正しさで知られる國であるにもかかわらず、「吾が幼(よう)を幼として、以て人の幼に及ぼさば(わが子をかわいがり、その気持ちをよその子まで及ぼす)」というのを実踐できないのは少し寂しい話だ。
日本人の人間関係における鉄則は「迷惑をかけてはいけない」。しかし、「自立」を強調しすぎるあまり、極端に走ってしまうこともある。10年、NHKは「無縁社會 新たなつながりを求めて 」と題するドキュメントを放送した。「無縁」というのは、會社を基礎とする社會的なつながり「社縁」、親子 兄弟姉妹などの血のつながりを基礎としてつくられた社會的関係「血縁」、住む土地にもとづく縁故関係「地縁」がない狀態だ。少子高齢化、失業、嫌婚、都市化などが無縁の原因だ。「無縁」の人は生きていても、仕事もなく、配偶者もおらず、子供もおらず、誰ともつながりがなく、帰る田舎もない。そして、死んでも、誰もそれを知らず、遺體を引き取る人もいない。そのような人が生活している社會は、「有縁社會」から、「無縁社會」へと少しずつ変化していく。統計によると、日本では毎年3萬2000人が「孤獨死」しているという。
騒音問題の専門家である、八戸工業大學の橋本典久教授は、「子供の聲を我慢するようにというのも、工場から出る騒音のように子供の聲を規制するというのも極端な考え方。幼稚園の騒音は音の大きさの問題だけでなく、人間関係とも関わりがある。防音壁を設置するなどの対策を講じるほか、互いに譲歩して、良好な人間関係を築くことが最も重要」との見方を示す。
実際には、生活の中で不快に感じる多くの事も、視點を変えてみると違う結果になるものだ。筆者は最近、東京品川區のある老人ホームを取材した。その老人ホームは、10階建てビルの5-10階にあり、1-4階は中學校の寮となっている。老人ホームの施設長によると、このような環境にすることで、高齢者に若者の活力を感じてもらうことができ、中學生もボランティアに參加しやすい。そのようにして、「心のきずな」ができ、高齢化問題の解決にもつながるという。
20年後にもらう年金には、鼻水を垂らしながら騒いでいた子供たちが納めた稅金が入っていることを考えると、にぎやかな子供たちを、眉をひそめて見るのではなく、笑顔で受け入れることができるのではないだろうか。
(人民網日本語版)
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