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菊薫ると日本婦人
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-07-13 14:13:57 | 新華網 | 編集: 吳寒冰

(寫真はネットより)

 心洗われる菊の清清しい香りがたちこめる頃、私は一人の日本女性を思い出す。

 1984年の秋、私は、野村綜合研究所の日本の宿舎で過ごした。そこで経済を學ぶ傍ら、夜は生け花教室に通った。教室を終えた後、練習に使った花點を捨てるに忍びず、宿舎に持ち帰って、自己流で花瓶に差してみた。

 翌日、部屋に帰ると、機の上に秋らしい風情を湛えた一幅の花の絵が見えた。驚いて、近寄ってみたら、何と、それは、本物の生け花だった。純白の百合が凜と真ん中に立ち、左右に金色の菊が添えられ、さらに、それを引き立たせるような深紅の紅葉と燻し銀のような薄が、蓮の花のような形をした水色の磁器に生けてあったのだ。私が差した花瓶は見當たらなかった。側に、整った美しい文字がたためられたメモが置いてあった。

 「お許しもなく、池坊流のお花を生けてみました。私の花器もお役立てください。小野呈子より」

 こんな素晴らしい贈物をくれた小野さんって、一體どんな人だろう?花を見つめていたら、まるで、藤色の和服姿の女性が滝の前に立っているように見えてきた。さらに、長い髪をなびかせた若い女性が、部屋に入って來て、秋の果物が入った小籠を機の上に置いて行った。だが、それもまるで煙のように消え去った。私は、どうやら心優しいお花の先生と知り合いになれたようだ。そこで、私も、「心のこもった素晴らしい作品と、花器をありがとうございます。どうぞ、これからも禦指導よろしくお願いします。」と丁寧に日本語で返事をしたためた。 この日から、數日おきに、私の機の上には素晴らしい生け花が見られるようになった。そこには、大自然の美しさがそのまま存在した。その見事さはあたかも鮮やかなマジックを見るようだった。おかげで、私の日本の生活に彩りを添えてくれた。生け花の側には、いつも心溫まるメモが添えられてあり、そこには、手法が解り易く解説されてあった。まるで、生け花の個人指導を受けているように。

 教室がなかったある日、晝に宿舎に戻ると、女性達が掃除中だった。彼女達はモップなどを手に持って、笑いながらこちらに向かって歩いてきた。すると、中に、見覚えのある文字の名札を胸に付けた婦人がいるではないあか。

 「え?小野さんですか?」と私は思わず問い掛けた。すると、「そうです。」と、にこやかに答えてくれた。水色の制服を着た彼女は、小柄で、ショートヘアーの髪には白いものが混じり、微笑んだ顔には皺も目立った。私が描いていたお花の先生のイメージとは、全く違っていたのだ。

 「いつも、お花の禦指導、ありがとうございます。」と私は心から禮を言った。

 「私、毎週、生け花を教えてるものですから、あなたの部屋の掃除のついでに、ちょっとお花を生けさせてもらいました。」彼女は慎ましやかに答えた。

 「失禮ですが、お花の先生でいらっしゃるのに、なぜ、掃除婦をなさってるんですか?」と私は、聞かずにはおれなかった。

 「私、もと、醫者でしたが、趣味で生け花をしてました。去年、退職してから、免許をとりました。日本の華道って中國の唐から伝わったでしょう?だから、ずっと中國に憧れていたんです。退職後、念願かなって中國語を習い始めました。聞くと、ここではたくさんの中國人が研修にきているとか。さらに掃除婦も募集してたので、中國語の勉強のいい機會だと思って來たんです。私の中國語、どうかしら?」そう言って、ぎこちない中國語でたどたどしく言った。

 「私は小野と申します。どうぞ、よろしく。」と言い終わると、彼女は少女のようにはにかんだ真っ赤な笑顔になった。

 「いいですよ、発音も正確ですね。」と私は言った。実は、彼女の聲調は怪しげだったが、その學習意欲を褒め稱えずにおれなかった。

 日本の老婦人は、なんてすごい!知識欲が旺盛で、趣味が豊富で、生き生きと生活している。中國で言う「老いてなお學ぶに倦まず」とは、まさにこういうことではないか。

 この時から、私達は、互いに教えあう友人になった。彼女は私を家によんで、白地に紫の花の柄の着物をくれた。これは、私の衣裝ダンスに大事にしまっている。私は、彼女に藤の絵を贈った。彼女はそれをとても喜んで、客間の真ん中に飾ってくれた。

 一年の日本の滯在を終え、北京に帰った私は、その後、仕事も色點かわり、日本と離れざるを得なかったが、小野さんとの関係だけはずっと続いている。毎年、小野さんは手紙や年賀狀をくれるが、私は、それを繰り返し読んでは、彼女を思い出す。この時、彼女が初めて生けてくれた菊の香りが、時空を越えて鮮やかに蘇る。あたかも、それは、中國と日本に美しい花の架け橋が渡るような一瞬なのだ。

 

(林江東、畫家)

 

(この文章に表明された観點は作者個人のもので、新華網の立場を代表しません。著作権は新華網に屬します。)

 

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新華網日本語

菊薫ると日本婦人

新華網日本語 2016-07-13 14:13:57

(寫真はネットより)

 心洗われる菊の清清しい香りがたちこめる頃、私は一人の日本女性を思い出す。

 1984年の秋、私は、野村綜合研究所の日本の宿舎で過ごした。そこで経済を學ぶ傍ら、夜は生け花教室に通った。教室を終えた後、練習に使った花點を捨てるに忍びず、宿舎に持ち帰って、自己流で花瓶に差してみた。

 翌日、部屋に帰ると、機の上に秋らしい風情を湛えた一幅の花の絵が見えた。驚いて、近寄ってみたら、何と、それは、本物の生け花だった。純白の百合が凜と真ん中に立ち、左右に金色の菊が添えられ、さらに、それを引き立たせるような深紅の紅葉と燻し銀のような薄が、蓮の花のような形をした水色の磁器に生けてあったのだ。私が差した花瓶は見當たらなかった。側に、整った美しい文字がたためられたメモが置いてあった。

 「お許しもなく、池坊流のお花を生けてみました。私の花器もお役立てください。小野呈子より」

 こんな素晴らしい贈物をくれた小野さんって、一體どんな人だろう?花を見つめていたら、まるで、藤色の和服姿の女性が滝の前に立っているように見えてきた。さらに、長い髪をなびかせた若い女性が、部屋に入って來て、秋の果物が入った小籠を機の上に置いて行った。だが、それもまるで煙のように消え去った。私は、どうやら心優しいお花の先生と知り合いになれたようだ。そこで、私も、「心のこもった素晴らしい作品と、花器をありがとうございます。どうぞ、これからも禦指導よろしくお願いします。」と丁寧に日本語で返事をしたためた。 この日から、數日おきに、私の機の上には素晴らしい生け花が見られるようになった。そこには、大自然の美しさがそのまま存在した。その見事さはあたかも鮮やかなマジックを見るようだった。おかげで、私の日本の生活に彩りを添えてくれた。生け花の側には、いつも心溫まるメモが添えられてあり、そこには、手法が解り易く解説されてあった。まるで、生け花の個人指導を受けているように。

 教室がなかったある日、晝に宿舎に戻ると、女性達が掃除中だった。彼女達はモップなどを手に持って、笑いながらこちらに向かって歩いてきた。すると、中に、見覚えのある文字の名札を胸に付けた婦人がいるではないあか。

 「え?小野さんですか?」と私は思わず問い掛けた。すると、「そうです。」と、にこやかに答えてくれた。水色の制服を着た彼女は、小柄で、ショートヘアーの髪には白いものが混じり、微笑んだ顔には皺も目立った。私が描いていたお花の先生のイメージとは、全く違っていたのだ。

 「いつも、お花の禦指導、ありがとうございます。」と私は心から禮を言った。

 「私、毎週、生け花を教えてるものですから、あなたの部屋の掃除のついでに、ちょっとお花を生けさせてもらいました。」彼女は慎ましやかに答えた。

 「失禮ですが、お花の先生でいらっしゃるのに、なぜ、掃除婦をなさってるんですか?」と私は、聞かずにはおれなかった。

 「私、もと、醫者でしたが、趣味で生け花をしてました。去年、退職してから、免許をとりました。日本の華道って中國の唐から伝わったでしょう?だから、ずっと中國に憧れていたんです。退職後、念願かなって中國語を習い始めました。聞くと、ここではたくさんの中國人が研修にきているとか。さらに掃除婦も募集してたので、中國語の勉強のいい機會だと思って來たんです。私の中國語、どうかしら?」そう言って、ぎこちない中國語でたどたどしく言った。

 「私は小野と申します。どうぞ、よろしく。」と言い終わると、彼女は少女のようにはにかんだ真っ赤な笑顔になった。

 「いいですよ、発音も正確ですね。」と私は言った。実は、彼女の聲調は怪しげだったが、その學習意欲を褒め稱えずにおれなかった。

 日本の老婦人は、なんてすごい!知識欲が旺盛で、趣味が豊富で、生き生きと生活している。中國で言う「老いてなお學ぶに倦まず」とは、まさにこういうことではないか。

 この時から、私達は、互いに教えあう友人になった。彼女は私を家によんで、白地に紫の花の柄の着物をくれた。これは、私の衣裝ダンスに大事にしまっている。私は、彼女に藤の絵を贈った。彼女はそれをとても喜んで、客間の真ん中に飾ってくれた。

 一年の日本の滯在を終え、北京に帰った私は、その後、仕事も色點かわり、日本と離れざるを得なかったが、小野さんとの関係だけはずっと続いている。毎年、小野さんは手紙や年賀狀をくれるが、私は、それを繰り返し読んでは、彼女を思い出す。この時、彼女が初めて生けてくれた菊の香りが、時空を越えて鮮やかに蘇る。あたかも、それは、中國と日本に美しい花の架け橋が渡るような一瞬なのだ。

 

(林江東、畫家)

 

(この文章に表明された観點は作者個人のもので、新華網の立場を代表しません。著作権は新華網に屬します。)

 

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