「昔は留學生が家を養ったものだが、今は家が留學生を養っている」。友人に「現在の中國人留學生はあなたが留學した時とどう違うか」と聞かれるたび、私は、28年前に日本に行って働きながら勉強した時代を思い出す。當時、家を出て海外にわたった中國人學生は、自分の學費や生活費をアルバイトで稼がなければならなかっただけでなく、中國に殘した家族の生活費も負擔しなければならなかった。この狀況は現在ではまったく逆転している。勤労學生はもちろん今でもいるだろうし、數が少なくなったり、様子が変わったりしただけかもしれないが。
1980年代、中日両國の経済はまったく違うレベルにあった。1988年に私が出國した際、普通の中國人の月給は76元だった。日本でアルバイトすれば一日1萬円になる。1萬円は當時、約800元にもなった。1萬円の価値は約500元に下がったが、より大きな変化は、大多數の中國人の月給が數千元、數萬元に拡大したことだ。私たちの時代、日本に來た中國人留學生は、まるで渇きをいやすかのように朝から晩まで働いたものだった。私自身も1カ月で3つか4つの仕事を掛け持っていた。早朝は5時前から起き、企業で清掃のバイト。午後は授業。夜はレストランでのアルバイト。土日もバイトが詰まっている。こうして働くと、1カ月で3、40萬円の収入を得ることができた。一方、現在の中國人留學生のアルバイトは多くが「生活體験」のためだと聞く。バイトで作ったお金で、欲しくても親が買ってくれないゲーム機を買ったりするのだという。
しばらく前、日本にある日本語學校の學生寮を訪ね、アルバイトについて聞く機會があった。ある人は、「父には、日本に行ったら半年くらい遊んでそれから考えるようにと言われた」と答えた。またある人は、「母は、とにかくちゃんと勉強をすればいいので、アルバイトのことを考える必要はないと言っている」と答えた。また「おばあちゃんに、早く行って早く帰って來い、アルバイトは絶対にしないようにと言われた」と言う人もいた。
1988年に私が出國した時には、自費留學生に対して國が許していた両替額は1回8000円にすぎなかった。現在、自費留學生には年間5萬ドルの両替が許されている。留學生らにいくら持ってきたかを聞くと、みんなはおかしなことを聞くという目で私を見たが、ある學生は200萬円持ってきた、ある學生は少し気まずそうに80萬円だけだなどと答えてくれた。またある學生は、「今はもうカード。両親は私に直接カードで支払うようにと言っている」と答えた。
當時、中國人留學生の多くは受け身でバイトをしていた。牛黃や101育毛剤を自分で売っているというような人は羨ましがられたものだ。現在は、多くの中國人留學生が起業を志している。主戦場は、代理購入やオンライン販売だ。ある留學生は、「日本に來て社長になってしまった」と言う。世代の違いで、中國人留學生の日本でのアルバイト経験はここまで違う。どちらが正しいという評価の問題ではない。改革開放から30年余りが経ち、中國のGDPは日本を超えて世界2位に躍進した。中日両國の経済は相互補完性を強めている。中國人留學生が日本で考えなければならない第一の問題も生計や実家への仕送りではなくなり、未來のアイデアや革新、起業となった。これはまさに発展であり、中國人が一代また一代と強くなっていることの裏付けでもある。(『日本新華僑報』編集長 蔣豊)
(チャイナネット)
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