15日、蘇羊遺跡蘇羊地區の中核生活エリアの発掘現場。(小型無人機から、鄭州=新華社記者/李安)
【新華社鄭州12月27日】中國河南省洛陽市宜陽県にある仰韶文化(ぎょうしょう、黃河中流域の新石器時代文化)を主體とした蘇羊遺跡で6カ月にわたり実施された調查と発掘で、長江流域の屈家嶺(くつかれい)文化の要素が濃厚な器物と、東北部の紅山文化の特徴を備えた獣頭石彫が見つかった。専門家は今回の発見について、屈家嶺文化の北への伝播が中原地域(黃河中・下流域)に及ぼした影響を知る貴重な新資料であり、約5千年前の河洛地域(洛陽を中心とした黃河と洛河が交わる平原)における黃河文明と長江文明の交流と融合を反映しているとの見方を示した。
同遺跡は宜陽県の張塢(ちょうお)鎮にある。下村地區と蘇羊地區の南北2地區に分かれており、面積は60萬平方メートルを超える。
蘇羊地區では、比較的保存狀態のよい仰韶文化中期の住居跡が多く出土した。うち、北西から南東へ部屋が並ぶ住居跡は、床が平坦でコンクリートのような硬さと滑らかさを持ち、倒壊した壁體も広範囲で見られた。北京大學考古文博學院の張海(ちょう・かい)副院長は「このような形式の住居は廟底溝遺跡(河南省陝県)で見つかっているが、洛陽地區では初めて」と説明。保存狀態の比較的良い建築遺構は新石器時代中・後期の河洛地域の建築技術と建築文化を探る上で重要な資料になると述べた。
同地區では、これまでに住居跡11カ所、灰坑と窯穴126個、溝1本を発掘し、土器や石器、骨器などが出土した。
張氏は「蘇羊遺跡で最も驚かされたのは、異なる文明の要素が一つの遺跡に集まっていたことだ」と興奮気味に語った。灰坑の出土品は屈家嶺文化の要素を持つ土器が大半を佔め、ある灰坑からは橫裝寛扁足盆形鼎や罐形鼎、雙腹豆、圏足杯、花辺捉手器蓋、彩陶紡輪など復元可能な器物20點余りが見つかったという。仰韶文化後期の中原地域ですでに長江流域の屈家嶺文化と黃河中流の仰韶文化が深く交流し、衝突していたことを示唆している。
このほか、同遺跡から出土した虎の頭に似た獣頭の石彫は、紅山文化の半拉山墓地で出土した獣頭の鉞(まさかり)の飾りと形狀が極めて似ていた。張氏は「仰韶文化と紅山文化の間にも密接な交流があったことを基本的に証明している。しかも、それは上流階級で起こっていた可能性が高い」と語る。
同遺跡は、洛陽と長安(現在の陝西省西安市)を結ぶ崤函(こうかん)古道の南ルートに位置しており、古くから文化交流の重要な結節點だった。張氏は、これらの多元的文化の集合も中國の初期都市に見られる一つの重要な特徴との見方を示した。
遺跡の発掘作業は今年6月に始まった。「考古中國・中原地區文明化プロセス研究プロジェクト」にも登録され、現在は主に蘇羊地區の中核生活エリアの800平方メートルで作業が進められている。
同省洛陽市文物考古研究院先史研究室の任広(にん・こう)主任によると、同遺跡は仰韶文化を主體とする大型の二重環濠(かんごう)集落遺跡であることが最新の調查で判明している。集落の東西両側は自然の浸食溝が天然の外濠を形成しており、集落內部は人工の大型環濠を內濠としていた。二重環濠は遺跡が比較的高い等級を持ち、地域の中心的集落だったことを示しているという。
任氏は「蘇羊地區の環濠內側の広い範囲で文化層の堆積と遺構が集中して見つかった。一部の層は堆積の厚さが5メートルもあり、中核生活エリアだったと推測される。環濠の外側南西部には土坑墓が密集して並んでおり、計畫に基づき造営された一族墓地だったと思われる。南東側では貯水か浄水のための人工池の遺構も見つかった」と説明。遺跡の集落は計畫性が高く、配置構造も明瞭で、機能分擔もはっきりしており、仰韶文化期の同地區の集落形態や社會の発展水準、生業モデルを研究する上で貴重な材料になると述べた。
同研究所の趙暁軍(ちょう・ぎょうぐん)院長は、遺跡の集落が仰韶文化中期から竜山文化後期までの非常に長い期間存続したことが発掘成果から分かると指摘。河洛地域の新石器時代後期の考古學文化の序列を構築し、中原地域の文明化プロセスを探求する上での豊富な実物資料になると語った。(記者/王聖志、任卓如)