中國の習近平國家主席は情に厚く、義理を重んじる。同氏は多くの友人と出會い、人生を歩む中で、古き友情を決して忘れることがない。時間や機會があると、すぐに古い友人たちを訪ねる。どれだけ時間がたっても、友人たちと連絡を取るよう努める。
「どんなことがあっても時間を取ってあなたたちに會わなくてはならない」

習近平中國共産黨中央委員會総書記・國家主席は14日、宿泊先のビエンチャンのホテルでラオスのポルセナ一家の友人と會見した。(新華社記者/蘭紅光)
2017年11月、習近平國家主席はラオスを公式訪問し、訪問期間中、同級生や舊友たちと特別に會見した。

20世紀60年代、北京のある公園で撮影したポンセーナー家の子どもたちの記念寫真。(寫真はポンセーナー家提供)
當時、八一學校に通っていた習近平氏は、こうした外國人の同級生の事を印象深く覚えている。長年にわたり、同氏は何度も當時の同級生、舊友たちと連絡を取ろうとしてきた。
7年後、同級生、舊友と再會した習近平氏は、非常に喜んだ。

習近平中國共産黨中央委員會総書記・國家主席は14日、宿泊先のビエンチャンのホテルでラオスのポルセナ一家の友人と會見した。(新華社記者/蘭紅光)
「ポンセーナー家の代表の方點と會えてとてもうれしい。あなた方の多くは私の古い同級生だ。7年ぶりに同級生、舊友と再會し、あなた方が健康で、幸せに暮らしているのを見て、非常にうれしい。私はずっとあなた方の事を想っていた」と習近平氏は述べた。
「あの頃が大変懐かしい」

2016年9月9日、習近平國家主席は北京市八一學校を訪れ、教師や生徒を慰問し、全國の幅広い教師・教育関係者に向け祝日の祝賀と心のこもった挨拶を屆けた。(新華社記者/姚大偉)
2016年、32回目の教師節(中國教師デー)を迎える際、習近平國家主席は北京市八一學校の教師・學生を訪問し、小學校、中學校在學の月日を感慨深く振り返った。

北京市八一學校。
當時の教師、同級生について話し出した総書記は、彼らの名前をはっきりと覚えており、次から次に多くの楽しい思い出を語った。習近平氏は、歩きながら學校を眺め、質問したり思い返したりしながら、「あの頃が大変懐かしい。どこに行っても母校のことを想っているし、母校と連絡を保っている」と感慨深く話した。

2016年9月9日、習近平國家主席は北京市八一學校を訪れ、教師や生徒を慰問し、全國の幅広い教師・教育関係者に向け祝日の祝賀と心のこもった挨拶を屆けた。(新華社記者/鞠鵬)
八一學校の幾人かの退職した教師たちは、今では古希を迎えており、教え子との再會は特に感動的なものとなった。習近平氏は教師の一人ひとりと握手し、昔の楽しい思い出を振り返り、ほかの教師や同級生の近況を語り合った。

記者のインタビューを受ける教師の陳秋影さん。
習近平氏は、「先生方の元気な姿を拝見して、とてもうれしい。當時、先生方はとても厳しかったが、今思い返すと、一生役に立っている」と述べた。
「私の心は今もここにある」

2015年2月13~16日、習近平氏は陝西省を訪れ、多くの幹部や民衆を見舞・慰問し、全國の各民族・人民に新春の祝賀を送り、偉大な祖國の繁栄・隆盛と各民族の人民の幸福、健康を祝した。(新華社記者/蘭紅光)
2015年春節(舊正月)、習近平氏のこの遠出は少し特別だった。彼は「裏帰り」し、梁家河村に帰り、故郷の仲間たちを訪ねたのだ。

1973年、「上山下郷」の時代の習近平氏(左から2人目)、陝西省延川県。新華社
40年余り前、15歳だった習近平氏は梁家河に到着し、苦しくも終生の益となる人民公社生産隊への入隊生活を始めた。彼はここで中國共産黨員となり、大隊黨支部書記を7年に渡り務めたのである。
故郷の仲間たちに會い、習近平氏は非常に喜んだ。同氏は、當時共に働き、共に暮らした仲間の多くを一目で見分け、親しみ深く彼らの名前を呼び、彼らの家族に挨拶した。

2015年2月13~16日、習近平氏は陝西省を訪れ、多くの幹部や民衆を見舞・慰問し、全國の各民族の人民に新春の祝賀を送り、偉大な祖國の繁栄・隆盛と各民族の人民の幸福、健康を祝した。13日午前、習近平氏は延安市延川県文安驛鎮梁家河村で村民たちを訪ね、彼らと親しく語り合った。(新華社記者/蘭紅光)
習近平氏は、「今日ここに帰ってくることができて、とても感動している。皆に會えてとても親しく感じる。1969年1月、私は人生の第一歩を踏み出し、梁家河に來た。ここには7年も住んでいた。當時、私はここを去ったが、私の心は今もここに殘っている」としみじみと語った。
習近平氏は、「當時の仲間たちが生活の仕方、働き方を教えてくれたことは、自分にとって大きな益となった。あの時私はまだ15,16歳の子どもで、何もできなかった。あれからどれもできるようになった。麺を伸ばすことも、団子を蒸すことも、漬物を漬けることも、何でもできるようになった。あの漬物は長い間食べていないと、懐かしくなる」と語った。

2015年2月13~16日、習近平氏は陝西省を訪れ、多くの幹部や民衆を見舞・慰問し、全國の各民族の人民に新春の祝賀を送り、偉大な祖國の繁栄・隆盛と各民族の人民の幸福、健康を祝した。(新華社記者/蘭紅光)
40年は長い時間だ。しかし、その歳月も習近平氏の「黃土(黃河流域の黃土の堆積する地域)の情」を損なうことはできない。「15歳で黃土の地に來た時、私は途方に暮れ、さまよっていた。22歳で黃土の地を離れる時にはすでに、確固とした人生の目標があり、自信に満ちていた。人民の公僕として、陝北高原は私の根である。ここが私の不変の信念を育てたからだ。人民のために実際的な事を行わなければならない!」習近平氏は、彼の心の中にある「黃土の情」が、困難に直面した時、解決できない問題はないと信じさせてくれると話した。
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