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中國が第2の故郷 遺體を中國に捧げた日本人
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2017-03-10 15:33:54 | 人民網日本語版 | 編集: 郭丹

  北川光男さんの告別式の様子。

   江蘇省の蘇州大學醫學部で8日、北川光男さん(享年87歳)の告別式がしめやかに営まれた。北川さんの親族や友人、蘇州赤十字會など各界の人點が集まり、涙を見せながら、北川さんに最期の別れを告げた。北川さんは蘇州市呉江區盛澤鎮で10年ほど暮らし、盛澤鎮の自宅で4日夜に亡くなった。北川さんの遺言により、北川さんの子どもたちは北川さんの遺體を蘇州大學醫學部に獻體した。これは、江蘇省において、外國人が獻體を行った最初の例となった。揚子晩報が伝えた。

  生前の北側光男さんの寫真。

   2003年に古希を迎えた北川光男さんと十寸子夫妻は大阪から蘇州市呉江區盛澤鎮に移り、主に特殊な刺繍技術を扱うアパレル企業を設立した。北川夫妻の日本人の友人が同地でアパレル工場を開業した當初、中國ではこのような特殊な刺繡技術が少ないことを知り、北川さんは思い切って日本の會社から250&もの輸入機械を同地に取り寄せ、北川さんの企業は同地で大成功を収めた。

   北川さん夫妻は同地での生活を次第に好むようになっていき、中國に対する愛着が湧き、同地に長期滯在して、のんびりと余生を過ごすことにしたという。妻の北川十寸子さんは、「人が死んだ後に遺體が火葬または土葬されるというのは全く意味のないことで、病院に獻體すれば少しは人の役に立つことができる。私たちの両親は自分自身の遺體を大阪の病院に獻體し、臨床醫學の教育研究や科學研究に役立ててもらった。呉江區盛澤鎮に來て13年になるが、ここは私たちの故郷の奈良にとてもよく似ており、早くからここを第2の故郷にしようと思った。この地で遺體を獻體するのは、私たち一家がこの都市のためにできる恩返しであり、もう一つは醫學の科學研究に少しでも貢獻したいから」とその思いを語った。

  生前の北側光男さんの寫真。

 北川さん夫妻は2009年に、遺體獻體の登録手続きを行った。北川十寸子さんは、「今私が特に注意していることは、交通事故や突発的な事故に遭わないようにすること。できる限り自分の體を守って、亡くなった後に獻體できるようにしたい」と語った。

  北川光男さんの告別式の様子。

 呉江區赤十字會の常務副會長の沈小紅氏は、「北川光男さんは亡くなるにあたり、國境を越えて自身の遺體を中國の醫療教育事業のために獻體し、醫療の架け橋となった。北川さんは多くの人から尊敬される形で、自身の人生に幕を下ろし、社會や人類のためにこの上ないほどの最後の貢獻を行った。生前は善行を、その死後にも愛情を捧げてくれた。北川さんは人道、博愛、貢獻の精神によって命の力強さ、國境を越えた愛情に満ちた思いを伝えた。私たち全ての中國人はこのことを胸に刻み、語り継いでいくべき」と語った。

 

(人民網日本語版)

 

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新華網日本語

中國が第2の故郷 遺體を中國に捧げた日本人

新華網日本語 2017-03-10 15:33:54

  北川光男さんの告別式の様子。

   江蘇省の蘇州大學醫學部で8日、北川光男さん(享年87歳)の告別式がしめやかに営まれた。北川さんの親族や友人、蘇州赤十字會など各界の人點が集まり、涙を見せながら、北川さんに最期の別れを告げた。北川さんは蘇州市呉江區盛澤鎮で10年ほど暮らし、盛澤鎮の自宅で4日夜に亡くなった。北川さんの遺言により、北川さんの子どもたちは北川さんの遺體を蘇州大學醫學部に獻體した。これは、江蘇省において、外國人が獻體を行った最初の例となった。揚子晩報が伝えた。

  生前の北側光男さんの寫真。

   2003年に古希を迎えた北川光男さんと十寸子夫妻は大阪から蘇州市呉江區盛澤鎮に移り、主に特殊な刺繍技術を扱うアパレル企業を設立した。北川夫妻の日本人の友人が同地でアパレル工場を開業した當初、中國ではこのような特殊な刺繡技術が少ないことを知り、北川さんは思い切って日本の會社から250&もの輸入機械を同地に取り寄せ、北川さんの企業は同地で大成功を収めた。

   北川さん夫妻は同地での生活を次第に好むようになっていき、中國に対する愛着が湧き、同地に長期滯在して、のんびりと余生を過ごすことにしたという。妻の北川十寸子さんは、「人が死んだ後に遺體が火葬または土葬されるというのは全く意味のないことで、病院に獻體すれば少しは人の役に立つことができる。私たちの両親は自分自身の遺體を大阪の病院に獻體し、臨床醫學の教育研究や科學研究に役立ててもらった。呉江區盛澤鎮に來て13年になるが、ここは私たちの故郷の奈良にとてもよく似ており、早くからここを第2の故郷にしようと思った。この地で遺體を獻體するのは、私たち一家がこの都市のためにできる恩返しであり、もう一つは醫學の科學研究に少しでも貢獻したいから」とその思いを語った。

  生前の北側光男さんの寫真。

 北川さん夫妻は2009年に、遺體獻體の登録手続きを行った。北川十寸子さんは、「今私が特に注意していることは、交通事故や突発的な事故に遭わないようにすること。できる限り自分の體を守って、亡くなった後に獻體できるようにしたい」と語った。

  北川光男さんの告別式の様子。

 呉江區赤十字會の常務副會長の沈小紅氏は、「北川光男さんは亡くなるにあたり、國境を越えて自身の遺體を中國の醫療教育事業のために獻體し、醫療の架け橋となった。北川さんは多くの人から尊敬される形で、自身の人生に幕を下ろし、社會や人類のためにこの上ないほどの最後の貢獻を行った。生前は善行を、その死後にも愛情を捧げてくれた。北川さんは人道、博愛、貢獻の精神によって命の力強さ、國境を越えた愛情に満ちた思いを伝えた。私たち全ての中國人はこのことを胸に刻み、語り継いでいくべき」と語った。

 

(人民網日本語版)

 

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