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広島のもう一つの「顔」
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-04-15 10:18:33 | 人民網日本語版 | 編集: 薛天依


4月11日午前、ケリー米國務長官や英國・フランス・ドイツなど各國の外相が、岸田文雄外相の案內で、広島の平和記念公園を訪れた。今から71年前に米國が広島に原爆を投下して以來、米國務長官が今回初めて広島の原爆関連施設を訪れた。新華社が報じた。

だが、厳粛な面持ちのケリー長官らが、平和記念公園の原爆死沒者慰霊碑に獻花したとき、広島が世界で最初に原子爆弾が投下された都市であること以外に、歐米諸國にはほとんど知られていないもう一つの顔があることを、彼らは知る由もなかった。広島の「もう一つの顔」とは、日本の近代化に伴う一連の侵略戦爭の大本営であり、兵器工場や殘虐きわまる中國侵略部隊の駐屯地という顔だ。

1894年、日本は甲午戦爭(日清戦爭)を起こした。同年9月、明治天皇は「みずから出征」し、作戦司令部の大本営を広島に移し、帝國議會も広島で召集された。広島市內には、今でも、辺境開拓・領土拡大という大義名分のもとに侵略戦爭を始めた明治天皇の「武功」を記念するために造られた「広島大本営跡」などの石碑が殘っている。


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新華網日本語

広島のもう一つの「顔」

新華網日本語 2016-04-15 10:18:33


4月11日午前、ケリー米國務長官や英國・フランス・ドイツなど各國の外相が、岸田文雄外相の案內で、広島の平和記念公園を訪れた。今から71年前に米國が広島に原爆を投下して以來、米國務長官が今回初めて広島の原爆関連施設を訪れた。新華社が報じた。

だが、厳粛な面持ちのケリー長官らが、平和記念公園の原爆死沒者慰霊碑に獻花したとき、広島が世界で最初に原子爆弾が投下された都市であること以外に、歐米諸國にはほとんど知られていないもう一つの顔があることを、彼らは知る由もなかった。広島の「もう一つの顔」とは、日本の近代化に伴う一連の侵略戦爭の大本営であり、兵器工場や殘虐きわまる中國侵略部隊の駐屯地という顔だ。

1894年、日本は甲午戦爭(日清戦爭)を起こした。同年9月、明治天皇は「みずから出征」し、作戦司令部の大本営を広島に移し、帝國議會も広島で召集された。広島市內には、今でも、辺境開拓・領土拡大という大義名分のもとに侵略戦爭を始めた明治天皇の「武功」を記念するために造られた「広島大本営跡」などの石碑が殘っている。


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