「善良な中國人。」これは80歳になる丸山さんがよく言う言葉だ。
27日、記者は瀋陽の「九・一八」歴史博物館でこの高齢者に會った。「九・一八」歴史博物館の見學を終えたばかりの丸山さんは記者に、このような寫真はもっと多くの日本人に見せるべきだと述べた。
瀋陽の「九・一八」歴史博物館で、白いシャツを着た丸山さんは歩きながら見學し、たびたび質問して、その表情は重點しかった。もともと30分余りを予定していた見學を、丸山さんは2時間近くかけて一気に見た。
「日本軍が無辜な庶民を虐殺してから、その首をはねて電信柱に吊るした寫真が、私の心を深く動かしました。日本軍の殘酷な暴行に比べ、敗戦後も中國に身を置いていた日本人は中國人の報復を受けたことがありません。」と丸山さんは語った。
1946年、日本が敗戦し、降伏した翌年、中國人民の助けのもと、丸山さんは母親についてハルビンから葫蘆島まで船に乗って日本へ戻った。丸山さんは、ハルビンから葫蘆島へ向かう途中、私たちは二ヶ月間歩いたり止まったりしたのを経験したが、この間多くの中國人民の保護や助けを受けたと述べた。
「戦爭を経験してから、また生きて日本に戻ってくることができたことを、私はとてもラッキーだと思っています。このことも私に平和の尊さを認識させました。」と丸山さんは語っている。
丸山さんはこのように語った。「日本に戻ってから、私は今回中國でサイクリングした経験を周りの友人にありのままに分かち合い、中國の方たちがどんなに善良で、心やさしく私に接してくれたかを、彼らに伝えるつもりです。同時に、私のように中國に対して客観的にとらえ、歴史を正視する者が日本にはまだたくさんいることを、より多くの中國の方に知って頂きたいと思います。」
(新華網日本語)
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