
禦岳殉難者慰霊碑

満蒙開拓平和記念館
満蒙開拓平和記念館の三沢亜紀事務局長は、「(中國人は戦時中)土地を奪われ、苦しい生活に追い込まれたが、それでも戦後に日本へ帰れない開拓団の女性と子供を受け入れたという器の大きさに感動し、心から感謝をしています。今の若者はこの歴史を學んでいないため、彼らに、この記念館で客観的にこの歴史に出會い、どうして戦爭そして誤った國策が進められたのかを考える力を與えられるよう努めている」と話しました。
太平洋戦爭末期、國內の労働力不足を擔うため、多くの中國人が捕虜として日本に強制連行され、ダムや発電所の建設工事に従事させられました。劣悪な環境のもとで、244人の中國人が無念の死を遂げました。その中の7割が河北省の人でした。今では長野県の地元の日中友好活動に攜わる関係者が何十年にもわたって慰霊碑の清掃をしています。
(中國國際放送局)

