1954年10月9日の供述書によると、下坂は1919年に広島県で生れた。1940年に中國侵略戦爭に加わり、1945年8月に捕虜になった。重要な罪行には以下のものがある。
1940年5月4日、湖北省隨県で「平和住民婦人約三〇歳位一名及子供男性七歳位一名、四歳位一名計三名を奧一室に監禁し扉を閉め藁を前に積みあげ、私はそれにマッチを放火し」「母子三名を焼殺しました」。
1940年5月、隨県で仲間が捕虜3名を日本刀の試し斬りで殺害した。