
撮影 新華社記者 詹彥
【新華社太原8月5日】太原収容所はかつて中國侵略日本軍が中國北部に建設した最も古く、規模が最大の捕虜収容所の一つで、中國侵略日本軍が犯した重大な罪の歴史的証拠でもある。長年にわたる社會各界の関係者の呼びかけによって、山西省文物局はこのほど、愛國主義教育の機能をより適切に発揮するために、200萬元を投じて太原収容所の修繕を開始した。
太原収容所舊跡は山西太原市新開南巷の舊山西機器工場內に位置し、敷地面積は約1,070平方メートルで、1938年6月に建造された。おおまかな統計によると、7年間に10萬人から12萬人の中國人の軍人と民間人が収容、拘束されただけでなく、日本軍が戦爭捕虜と肉體労働者を輸送する重要な拠點であり、日本軍病院の血液貯蔵室、細菌実験室及び日本軍が捕虜を生きたままで新兵が人を殺傷する度量をつけるための標的にした暴行地でもあった。これらの罪行を隠蔽するため、同収容所は対外的に「太原工程隊」という呼稱があった。












