王建朗所長は、研究者の第二次世界大戦中の中國の貢獻に対する研究成果については、まとめて見ると主に次の4つの観點に総括されると述べた。
第一に、東北抗戦が世界反ファシズム戦爭の序幕を開けた。東北の義勇軍から、東北の抗日聯軍まで、東北の軍人と民間人が抗戦を続け、抗日聯軍は最多時期に11軍が編成された。1937年7月時點で、せん滅した舊日本軍と傀儡軍は10萬人余りに上った。
「第二に、『七七事変』から太平洋戦爭の勃発まで、中國戦場は東方における反ファシズム戦爭の唯一の戦場であった。」と王建朗所長は語る。
王建朗所長は、次のように述べた。「中國は祖國を守るために戦ったが、実際に他國の安全を擁護するために戦ったことにもなる。」抗戦を貫いたことによって、舊日本軍のエネルギーを大量に消耗し、日本に北進の計畫を放棄させた。また、その南進計畫に対しても牽制と阻害の作用があった。中國の持続的な抗戦はソ連、米國、英國などの反ファシズム國家が戦略的な準備にあてる貴重な時間を作った。
「第三に、太平洋戦爭の勃発後、中國戦場は世界反ファシズム戦爭の東方における主戦場になった。」と王建朗所長は語り、また、次のように説明した。中國戦場は終始、日本陸軍の主力を牽制した。中國戦場が舊日本軍の主力を牽制したことによって、舊日本軍は太平洋戦場により多くの兵力を派兵できなくなり、この情勢が同盟軍の太平洋での作戦への大きな支えとなった。
「第四に、中國は國際事務に積極的に參與し、戦後秩序の設計と戦後の國際組織の創設に參與した。」と王建朗所長は述べた。
王建朗所長はまた次のように説明した。中國は米國、英國、ソ連とともに26カ國『連合國共同宣言』に率先して署名した。さらに、同盟國と前後して『モスクワ宣言』、『カイロ宣言』、『ポツダム宣言』について協議、署名し、戦時中の問題と戦後秩序に関して方針を確定した。國連のメカニズムの設計に參與し、『國連憲章』の制定に參與し、弱小民族の平等の権利を擁護するために、獨自の貢獻を果たした。戦犯の裁判、敗戦國に対する佔領と改造などの戦後懲罰措置の策定に參與した。
(新華網日本語)
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