カメラマン:陳如為 北京で2015年06月11日撮影
【新華社北京6月29日】北京市豊&區永定河に架かる盧溝橋は、現存する北京最古の石造アーチ橋である。1937年7月7日、日本の侵略者はここで盧溝橋事件を引き起こした。盧溝橋事件78周年、抗日戦爭勝利70周年をまもなく迎えるにあたり、カメラマンの陳如為さんはこのほど盧溝橋を訪ね、これらの寫真を撮って、日本軍國主義者の戦爭を引き起こした侵略行為に対する憎しみを表している。
1937年7月7日の夜、華北日本軍が中國第二十九軍防衛地である盧溝橋附近にいわゆる軍事演習を実施し、また日本兵一人が失蹤したことを口実として稱し、北平の西南にある宛平県城(今の盧溝橋鎮)にはいって搜查を要求した。中國の守備軍がこの不當な要求を拒否した。7月8日早朝5時位、日本軍は宛平県城を包囲し、盧溝橋に駐屯している中國軍に攻撃を仕掛けた。盧溝橋と宛平県城の守備を擔當していた第二十九軍37師109旅219団は吉星文団長の統率に依り、奮い立ち、反撃して、全面的抗日戦爭の第一聲の銃聲を打ち鳴らした。その後、日本軍は華北地方當局との「平和談判」を利用し、華北地區に増兵した。28日、日本軍は香月清司の指揮の下、第二十九軍に総攻撃を発動した。中國守備軍は奮い立ち、反撃したが、佟麟閣、趙登禹などの將領が戦死した。7月29日依り30日にかけて、日本軍は前後して北平、天津を佔領し、華北要地が相次いで陥落した。盧溝橋事変が発生後、中國共産黨は全國に通電し、全民族が奮い立って抗日することを呼びかけていた。蔣介石も廬山で談話を発表し、応戦そして國土を守り、最後まで抗戦する決心を宣言した。日本軍により引き起こした盧溝橋事変は中國人民の抗戦の激しい怒りを招き起こした。盧溝橋での抗戦は中華民族の全面的抗戦の序幕を揚げた。