
これは4月7日に撮った日本九州大學の醫學歴史館。日本九州大學の校內に位置する醫學歴史館は近頃、正式に一般公開された。展示品は1945年に日本の教授らが捕虜になった米國のパイロットに対して生體解剖を行った罪証を含む。(撮影/新華社記者 劉秀玲)
【新華社日本・福岡4月9日】「戦爭は普通の人を狂人に変えてしまいますが、戦爭という異常狀態であっても、醫療従事者は最後の一刻まで理性を保たねばなりません。醫學歴史館の落成は私たちに歴史を振り返る契機を與えました。私たちは歴史への反省の中で正しい未來を築き上げてゆくのです。」
開館したばかりの九州大學醫學歴史館で、當校の住本英樹・醫學部長は取材に訪れた二つの中國メディアに醫學歴史館建設の初志を語った。
この九州大學醫學部同窓會による寄付で建てられた醫學歴史館には、症例、醫療機器などを含んだ60件余りの展示品が陳列されてあり、醫學部創立百年の歴史を物語っている。その中には70年前の九州大學の外科教授による米兵捕虜生體解剖事件に対する描寫が含まれている。
1945年、米軍B29爆撃機1機が福岡上空で撃墜され、多くの米國人飛行士が捕虜となり、そのうちの8人が九州大學で生體解剖され、最終的に死亡した。戦後、日本軍と九州大學醫學部では関係者30名がこれにより起訴され、そのうち23人が有罪判決を受けた。裁判が始まる前に、生體解剖に參與した2人の重要人物はそれぞれ自殺と空襲で死んでいたという。
70年前に行われた生體解剖実験で、九州大學外科教授らは捕虜となった米軍パイロットの體內に希釈した海水を注射し、肺葉及びほかの臓器を切り取って生存時間を観察した。「新しい手術方法を確立し、人類の生存に関わる課題を探求する」とした生體解剖によって、最終的に米軍パイロット8人全員を死亡させた。