作曲家・冨田勲氏は札幌から初音ミク、宮沢賢治の故郷・岩手県のメンバーを中心とした百人からなる合唱団とともに北京を訪れます。中國中央音楽學院のオーケストラが演奏を擔當し、中日のプレーヤーたちが一丸となり、宮沢賢治の世界を音で描くことになります。