【新華社広島8月18日】「ウサギの楽園」として知られる広島県竹原市の大久野島は、かつて毒ガス製造の最重要拠點だった。製造された大量の毒ガス弾は中國を侵略した舊日本軍によって、中國の兵士や民間人に危害を加えるために用いられた。
日本の敗戦78周年記念日に當たる15日、地元の反戦平和活動家や友好団體、留學生らと共に同島を訪れた。
15日、大久野島の至る所に見られるウサギの図柄。(広島=新華社記者/馮武勇)
15日、広島県竹原市の忠海港から望む大久野島。日本の侵略戦爭中には「毒ガスの島」だった。(広島=新華社記者/馮武勇)
15日、大久野島でウサギと遊ぶ観光客。(広島=新華社記者/馮武勇)
日本は1929年から45年にかけて、國際法による禁止を無視し、化學兵器製造に用いる大量の毒性化學物質を生産。大久野島は約9割の生産を擔った「毒ガスの島」だった。
市民団體「毒ガス島歴史研究所」の山內正之事務局長(78)は、近年の日本の歴史教育では被害の歴史のみを語り、加害の歴史を語ろうとしないため、大多數の観光客は同島が「ウサギの島」であることを知っていても、「毒ガスの島」であったことを知らないと語った。
15日、大久野島における毒ガス工場分佈図を見せる市民団體「毒ガス島歴史研究所」の山內正之事務局長。後ろの空き地には島內最大の毒ガス工場があった。(広島=新華社記者/馮武勇)
資料によると、日本陸軍が島內に毒ガス工場を建設したのは27年。29年の稼働開始から45年の敗戦まで6千人余りが働き、生産した毒ガスは砲弾に裝填されて中國の戦場へ絶え間なく運ばれた。舊日本軍が中國で行った毒ガス戦は記録にあるだけで1241回、中國の兵士や民間人の死傷者は20萬人以上に上った。
島には平和活動家が自発的に資料収集や資金調達を行い、88年に建設された毒ガス資料館がある。
同館は民間施設だが、至る所に「無斷撮影禁止」という注意書きがある。関係者によると、撮影には事前に竹原市長の許可が必要。一般來館者には取得困難とみられ、大多數の日本人観光客が島の背後にある罪悪の歴史を知らない原因となっている。
実際、「毒ガスの島」の歴史は過去のものではない。島內で製造された化學兵器は今も中國の人點を脅かしている。
舊日本軍は敗戦直前、罪を隠し責任追及を逃れるために未使用の化學兵器を大量に遺棄した。こうした兵器は中國の18の省・自治區・直轄市の120カ所以上で見つかっている。日本の敗戦から今日に至るまで、遺棄化學兵器が原因で中國人2千人以上が死傷している。
15日、大久野島に現存する島內最大の毒ガス貯蔵庫跡。(広島=新華社記者/馮武勇)
日本政府は90年代後半に中國や國際社會からの圧力を受け、中國と「中國における日本の遺棄化學兵器の廃棄に関する覚書」に署名したが、廃棄作業は遅點として進まず、4度も延期された。日本政府は今年7月、作業の完了期限を2027年まで大幅に延期すると決定した。
中國の薛剣(せつ・けん)駐大阪総領事は「われわれとしては、改めて日本側に責任と義務を着実に履行し、各種の投入を全面的に強化し、各方面が一丸となって作業を加速させ、一日も早く日本の遺棄化學兵器の毒を徹底的に取り除き、中國の人點に汚れのない土地を返し、中國人が受けていた戦爭の痛みを治めるよう強く促したい」と述べ、「歴史は最高の教科書であり、歴史を忘れることは裏切りを意味する。平和の道を守り続けるには歴史の真実を守らなければならない」と強調した。(記者/馮武勇、楊光)
15日、大久野島毒ガス資料館の外観。(広島=新華社記者/馮武勇)
15日、大久野島の毒ガス資料館に展示されている毒性物質貯蔵容器など。(広島=新華社記者/馮武勇)
15日、中國で毒ガス弾を使用する舊日本軍の寫真を見せる山內正之さん。(広島=新華社記者/馮武勇)
15日、大久野島の毒ガス資料館に展示されている作業用防護服。(広島=新華社記者/馮武勇)